極真空手とは(極真空手の歴史)

創始者 大山 倍達 総裁(おおやま ますたつ) 1923年6月4日生まれ。

幼少の頃より拳法を学び、13歳のとき山梨少年航空学校に入学。1938年3月、松濤館空手の創始者・船越義珍に初めて空手を学ぶ。拓殖大学、早稲田大学に学び、1947年全日本空手道選手権大会で優勝。

身延山、清澄山に籠もっての修業、修練を積み、牛を拳の一撃で倒す牛殺し、ビール瓶切りなどの秘技を体得、遂には猛牛をも倒した。"ゴッドハンド"と呼ばれる。
1952年に渡米して全米各地をまわりプロレスラーなどと真剣勝負を行って連戦連勝、同時に 空手を紹介する。その後も世界各国をまわって各種格闘技と戦い「カラテ」の名声を世界に広げる。
"空手こそ最強"の信念のもと、直接打撃制空手を提唱して、1954年5月、大山道場設立、1964年国際空手道連盟極真会館に改名。同時に館長に就任。
全日本空手道選手権大会、全世界空手道選手権大会を開催して極真ブームを巻き起こし、今日の格闘技ブームのさきがけとなる。

K-1、キックボクシングなど日本の格闘技のほとんどに影響を与え、その指導者には極真経験者が多数存在する。その間、世界130ヵ国1200万人、国内に50を越す支部を創立して50万人の会員を擁する最大の武道組織を築き上げ"極真最強"の名をほしいままにした。
1994年4月26日、数多の人に惜しまれながら逝去。しかし、生涯を懸けて作り上げた極真の精神は、今なお世界中で多くの道場生に受け継がれている。
国際空手道連盟・総裁。極真会館・館長。十段。

米山道場信念(米山道場が目指す黒帯とは)

厳しい修行を繰り返し取得する黒帯ですから極真空手の基本、型はあたりまえとして

「礼儀の心・尊敬の心・忍耐の心」

常日頃からこの心を、自然に持つことができ、そして自然に実行に移せることが出来る者に与えられ、締めることが許される帯が「黒帯」だと思っています。学校や、社会において、修行にて(稽古)養われた、心が生かせることが出来れば最高だと思っています。

今、社会では様々な事件が多々おきています。やはり心の弱さが最悪な形で出てしまっているケースが多いのではと思います。

辛い時苦しい時に自分自身を見失わず、勇気を失わず、精神的な強さをもち、正しい道、真の道を歩める人になってほしい。人に優しく、自分に厳しく、自分を信じ、真の道を歩んでいける人間になってほしい。少年少女部は元気な子、覇気のある子、何事にも一生懸命になれる子供になってほしい。

そして、社会に出た時に周囲から信頼される人間に、そして恥をおそれず堂々とした人間になる事を目標に、精進して頂きたいと思っています。

道場訓

  • 一、吾々は心身を練磨し
    確固不抜の心技を極めること
  • 一、吾々は武の神髄を極め
    機に発し感に敏なること
  • 一、吾々は質実剛健を以て
    克己の精神を涵養すること
  • 一、吾々は礼節を重んじ長上を敬し
    粗暴の振舞いを慎むこと
  • 一、吾々は神仏を尊び
    謙譲の美徳を忘れざること
  • 一、吾々は智性と体力とを向上させ
    事に臨んで過たざること
  • 一、吾々は生涯の修行を空手の道に通じ
    極真の道を全うすること